結論:「静かな退職」は逃げではなく、“当然の帰結”になりつつある
今、「静かに辞める(Quiet Quitting)」という言葉が
まるで“働く人の標準装備”のように広がってきています。
その背景には、「やっても報われない」という実感を抱えた人が増えているからです。
静かな退職の「ベクトルのズレ」は気にする必要あり
「自分はこれだけやっているのに、なぜ評価されないのか」
──この思いが静かな退職のきっかけになることが多いです。
でも、この「やっている」という感覚はとても主観的。他人から見れば「それだけ?」と思われることもあるし、実際に理不尽な扱いを受けている人もいます。
つまり静かな退職には、被害者意識と現実的な不公平の両方が混ざっています。
だからこそ、「一色単に語れない」ものではあります。

「全てを並列で語る」には注意が必要なテーマですが、
理不尽費用対効果に見合っていない働き方=”静かな退職”とこのサイトでは伝えていきますね。
なぜ「静かな退職」が当たり前になってきたのか?
一番の理由は、“評価の不透明さ”です。
私自身、まさにそうでした。
やるべきことはやって、周囲からも認められていたのに──
いざ評価のタイミングになると「並列に」「順番に」という曖昧な理由でステイ。
それでいて、責任だけが上乗せされる。
職位以上の仕事を押し付けられ、やりがいだけを搾取されるような毎日。
💬 サイト主(にくえだ)
成果主義だって言うからこそ頑張ったのに、
「他の社員とのバランスが」とか「まだ早い」と言われて昇格は見送り。
でも責任は増える。仕事は重くなる。
正直、「もう会社のために頑張る理由が見つからない」って、初めて思いました。
「年功序列」という旧体質が、静かな退職を生む
日本の多くの中小企業では、いまだに年功序列が根強く残っています。
- 出世=勤続年数
- 年上が正しいという風潮
- 改革を拒む50代~60代が現場を支配している
このような構造の中で、いくら若手が成果を出しても、
「出しゃばり」「空気を読め」と見なされてしまう。
そして年配世代の多くは、すでに“会社人生の終着準備”に入っていて、
下の世代の育成や改善提案には消極的。
こうして「静かな退職」が“当たり前”になった
若い世代はこう考えます:
「どうせ評価されないなら、無理して頑張るのやめよう」
それは単なる甘えではなく、
「過剰な期待をして傷つくくらいなら、距離を取る」という自衛の手段。
そして今、この感覚を持つ人が増えた結果、
「静かな退職」は“おかしなこと”ではなく、“普通のこと”になってきたのです。
それでも、自分の価値を取り戻すには
私は副業(サイト運営)という手段で、自分の場所を作り始めました。
会社だけに評価を求めないことで、自分で自分の価値を認められるようになったんです。
- 昇進しなくても、やりたい仕事を形にできる
- 誰かに遠慮せず、自分の努力が反映される
- 自信が少しずつ戻ってきた
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まとめ|「静かな退職」が当たり前なのは“構造”の問題
今の若い世代は、決して甘えているわけじゃない。
努力して、報われないことを何度も経験したからこそ「静かに辞めた」。
そしてそれは、社会が変わっていないから。
会社の構造が、古いままだから。
「静かな退職」を当たり前のこととして受け入れる前に、
私たち自身が“自分の人生の主導権”を持つことが何より大切なのかもしれません。
ではでは本日はこのあたりで。にくえだでした
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